令和7年10月8日(水)、神戸市中央区にある「ラッセホール」にて「第14回自治体災害対策全国会議」に初参加しました。阪神・淡路大震災30年という節目の年であり、地元長田区にて被災した経験もあることから「防災」に関しては思い入れがあります。特に、基調講演「阪神・淡路大震災からの神戸市の復興について」(久元神戸市長)には注目していました。被災当時、長田の真野地区にあった実家(仲井商店の工場)が半壊しました。家族の生命は無事に救われましたが、大学生であった仲井にとっては大きなインパクトとなりました。この震災が政治家を志す契機とはなりませんでしたが、この震災で「自分の夢をあきらめることはあってはならない!」と決意した記憶は鮮明に残っています。その当時は「空手道」の修練に打ち込んでいましたから、毎日の稽古がストップしてしまうことを極端に嫌がっていました。夜間、倒壊した家屋の瓦礫を避けて走り込み等を敢行しましたが、わが街(真野地区)の風景が一変してしまったことに驚愕したことを覚えています。
さて、本題の「神戸市の復興について」です。約2か月で「都市計画」(ハード面)を策定、次に「まちづくり協議会」(ソフト面)を立ち上げたとのこと。前例のない巨大地震を経験した神戸市にとって、スピード感ある対応をとりました。その当時の状況を考えると異例の速さであったと思います。また、仮設住宅(約32,000戸)の解消を約4年間でゼロにしたというお話しもありました。長期展望として、水道整備(大容量送水管)を20年間で完成させ、下水道ネットワークシステムを15年間で整備、複数処理場で対応可能としました。さらに、「防潮鉄扉」(遠隔操作システム)や全国初の「帰宅困難者支援システム」も整備したとの報告もありました。「防災DX」という仕組みも確認することができました。「外部給電」(神戸モデル)や「災害広報」の視点も学びました。講演の中で、特に印象が残ったのは自主防災組織の「防災福祉コミュニティ」です。30年前の震災で助けられた約77%は、消防や警察等の公的機関ではなく、「近隣住民」であったという事実でした。その教訓をもとに、神戸市内192地区(小学校単位)を完備しているという点です。海外視察(JICA経由)もあり、「BOKOMI」(防コミ)というワードが物語っています。わが街「真野地区」においても、「真野まちづくり」という住民自治が先行事例として大学等で取り上げられていました。その組織があったからこそ、まち全体に広がろうとした火災を食い止め、暴動が起こらずに円滑に配給物資を届けることができたというエピソードを学生時代に聞いたことがあります。こういった、「事前防災」の取り組みが大事であることを再確認させていただきました。
今回、初めて聞くキーワードがありました。それは、「相転移」という言葉です。「人と防災未来センター」長である、河田先生の迫力ある基調講演から学びました。この言葉は、熱力学で使用されてきたとのこと。例えば、「水」。気体(水蒸気)・液体(水)・固体(氷)という状態があります。温度によって、状態が変化します。この状態変化が急変する現象を「相転移」と呼ぶとのこと。もっと具体的な事例は、「線状降水帯」。海水が一気に水蒸気(雲)となり大雨を降らす。この急激な変化が「豪雨」となり、甚大な被害をもたらす。そして「水害」となり、「土砂災害」となって現れる。2次の「相転移」、3次の「相転移」を想定しなければならないということでした。以上、振り返りでした。